どこまでも散歩道~志治美世子ウェブサイト

訳してみました。   般若心経  

|

般若心経

 

 

 

あなたのすべての過去、そして現在、未来に捧げます。

あなたの求め続けたものは、今、あなたのその手に中にあります。

私の言葉。

あなたの命は永遠の虚空です。

だから宇宙の虚空の深淵にこそ、あなたの命は永遠に輝き続けるのです。

そう、それは遙かな宇宙へと吸い込まれていく道なのです。

 

私の言葉は、

真実のつぼみの奧に眠る、堅く閉ざした花びらを、咲かないままに散らし、散ってしまったからこその、未だ開かぬままのつぼみのようなものなのでしょうね。

 

いつか咲く日を信じて待っていることも、つぼみを見つめていなくともまた、心を重ねることはできるはずなのですから。

 

ですから、たとえあなたの足元の土に、まだ芽生えさえしていなくとも、いいえ、その種さえまだ植えられていなくとも、その土さえ耕されていなくとも、散ってしまった花をあなたは見ることができるはずです。

 

あなたはその香りに誘われ、花の色の美しさに心を奪われ、気高く天に向かって首をもたげ、この星の太古の記憶をともに分かち合うこともできるのです。

 

私の言葉は、

どんな時のあなたであっても、あなたに寄り添い続けると、あなたに約束しましたね。

だから生まれる前のあなたであっても、宿る前のあなたであっても、泥にまみれたあなたであっても、永遠に清らかなままのあなたであっても、あなたはあなたのまま、ただそれだけであって、それがすべてなのでしょう。

 

だから私の言葉は、

つかまえることができないままに、未だ芽生える前のつぼみであり、蒔かれることのない種であり、聞くことのできない声であり、そのままの真実の形なのです。

見えない、届かない、匂わない、囁かない、抱きしめることすらできない、歓喜も悲嘆もない、描くこともできないし、記憶することもできない、漂ってくることもなければ、思ってみることもできない、この世に存在するどのようなものにも、留めることはできないのだと。

 

地図を探してみるのはいいことかもしれません。

でも、それはけっして見つけることはできないでしょう。

見つけることなどできないと知っているからこそ、探し続けることができるのでしょうね。

そしてだからこそ、やがて追い求めるものはただ、蜃気楼のようなものでしかなかったことを、あなたは知る時を迎えるのでしょう。苦しみは苦しみのままに、喪失は喪失するままに、あるがままに受け入れて、ただその感触だけを感じている。

 

理解することは、何かを得られるという約束ではありません。

けれどもだからこそ、理解することによって自分を見失ったり、恐れたりする必要もないのです。

ただそのことを知る、ということだけに心を開き、身を任せていればいいだけのことでしかありません。何ものによっても奪われることのない、揺るぎないどこまでも真っ直ぐな安らぎが、ただそこに広がっているばかりなのです。

 

時の流れの一直線上に、そこにただある自分を確認することは、極小から無限大まで、同時に、そして無数に唯一の己を実感することなのです。

 

だから私は再び、そして何度でもあなたに言うでしょう。

あなたの心は、いったいどこにあるのでしょうか。蒔かれる前の種から、永遠の虚空へと広がっていくあなたの心。

無比であるその命。

どこまでも果てしのない旅。

その旅の行程こそが、あなたをその苦しみから救い出してくれる。

まったけき偽りのない、一粒の真実なのであると。

 

あなたの命は、触れることも見ることもできない、その琥珀の底の中にのみあると。

 

彼方へ。

彼方へ。

そしてさらにその彼方へ。

あなたは永遠の虚空にのみ存在し、輝き続ける。

それこそが、一つの、ただ唯一の真実であるのだから。

 

あなたのその輝きを、私は永遠に見つめ続けるのです。