どこまでも散歩道~志治美世子ウェブサイト

ハシシタが文化を滅ぼす日。

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「公開の場でなければ、補助金は凍結」

「弟子は師匠が育てるべき」

タレント弁護士あがりの大阪のハシシタ市長が、文楽協会に通達した。

私は怒りの余り、ネットのニュースで知った直後、「個人の勝手な思惑で、文楽を潰そうとする行為に、怒りを禁じ得ません」と桐竹勘十郎さんにメールを送った。

 

3人が一体となり人形を遣う文楽は、一度失われたら二度と戻らない文化であり技術であると共に、芸術である。

人間国宝の住太夫さんは、ハシシタとの通達から二日後、脳梗塞で倒れた。

「文楽の人間は、誰も贅沢などしていない。10年修行しても月収は10万円程度」

この現状に耐えながら、文化を支える志を保ち続けている文楽会。

松竹がバックにつき、テレビや映画で次々と次世代スターを作り出している歌舞伎界や、俳優としても出演機会のある狂言若手らと違い、文楽は文楽舞台以外の生きる術を持たない。

これを「自己責任」というのか。

 

大阪のタレント弁護士あがりの市長が、個人の思惑一つで日本の誇る世界遺産を潰そうとしている。 http://www.daily-eye-news.net/news_agFFyJrKJ2.html

 

以下、大阪市HPから送信したメールです。

 

東京在住の私は文楽ファンであり、私の周囲にも多数の文楽ファンがおります。
普段は東京の国立小劇場にて観劇いたしておりますが、大阪文楽劇場へも二度ほど足を運んでおります。

今回の大阪市長の発言に対し、なぜ市長が「プロデュース機能を持たない」と認めている文楽協会のみをターゲットにして、振興会の在り方を問題視しないのか理解に苦しみます。
文楽関係者は、文楽の保持と観客獲得に大変な努力をなさっています。
現場にはノータッチでありながら、天下りの既得権と権威だけに執着する振興会の在り方こそをまずは諮るべきではありませんか?

振興会にすべての権限を与え続け、文楽協会をやり玉に挙げることは、非常に下品な戦術ではないでしょうか。
しかもマスコミ馴れなさって、強引な論陣を張られることを得意となさっている市長に対し、文楽一筋に生きてこられたご高齢の方々が、複雑な慣例や経緯について簡潔に説明することが困難であろうことをご承知の上でなぶられるのは、いかがなものでしょうか。

文楽は大阪にあってこそのものです。
東京公演と比べたときに、その差は明らかです。

どうぞご批判のメスは、まず振興会に対して振るわれますよう、お願い申し上げます。

 

 

国会議員は東電の株主です。

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以下、友人からのメールの転載です。

 

 

とても面白い資料が出回り出しました。

東電などの株を持っている国会議員のリストです。

 

まずは東電を破たん処理させ、銀行からの借金を大幅にカットさせるべきです。

 

拡散よろしくお願いします。

 

 


 

「東電株保有の国会議員ランキング」

 政府は先月、貸し手責任・株主責任を不問にしたまま、1兆円もの公的資金で東電を国有化した。

 

東電救済法案は昨年夏に民主、自民、公明、国民新、たちあがれ日本などの賛成で可決しており、金融機関と株主を救って国民だけに全てのツケを回した責任は、これら議員達にある。

 

なかでも悪質なのが、東電の株主でありながら堂々と賛成した国会議員たち。調査したところ、東電株を保有する議員は衆参に計20人いるが、今村雅弘・石破茂・小宮山洋子ら実に16人が、利害当事者にもかかわらず棄権することなく、臆面もなく賛成に回り、株資産の「紙くず化」を防いでいた。

 

一方、反対票を投じた松田公太氏、棄権した林芳正氏は筋を通した。「東電株保有の国会議員ランキング」と取材で得た見解を全公開するので、選挙時の判断材料にしてほしい。

7月31日、政府は原子力損害賠償支援機構を通じて、東京電力に対し1兆円の公的資金を注入して50.11%の議決権を取得し、東電を国有化した。今後の賠償や除染、廃炉にいくらかかるのか明らかにされていない状態なので、国民負担がどれだけ膨らんでいくのか、計り知れない。

その一方、利害関係者である株主は、東電株の100%減資もないまま、国民にツケを回して責任を免れていることは既に述べた。これは経済原則を無視した不公平な処置と言わざるを得ない。なかには「原発事故で株が暴落し たから株主は責任を取ったも同然」という議員もいるが、今後、血税と電気料金を原資に再建して、株価が上向くことが十分あり得る。

しかも、国有化の根拠法となった「東電救済法案」(原子力損害賠償支援機構法)の採決時(衆院で11年7月28日、参院で同年8月3日採決)に、東電株を保有している国会議員も多数が参加し採決していた。

東電株を保有すること自体が問題なのではない。たとえ東電株を持っていても、国会では国民の利益を優先して、株の100%減資を叫び、救済法案に堂々と反対していれば、公私の別をつけることのできる人物として、高く評価できる。

だが後述のように、そのような積極的な行動をとった議員は、松田公太議員1人だけだった。他にも、政党とし て反対姿勢のため、東電株を持っていて採決で反対した議員が2人(ともに、みんなの党)いた。

または、党に背いて反対はできないにしても、採決時に「この法案の利害関係者なので、私は棄権する」と欠席するのが筋だ。だが、実際に東電株を保有していながら棄権した議員は、後で詳述するように、林芳正議員1人だけだった。

折しも野田佳彦首相は8月8日、「近いうちに」解散することを明言。来年は参院選もある。そこで有権者の判断基準の一つになればという思いから、「東電株保有の国会議員ランキング」を作成した。

東電国有化は、その他の電力会社も関係している。例えば、原子力損害賠償支援機構の資本金140億円のうち、半分は「原子力事業者12社」(上は北海道電力か ら下は九州電力までの全国九電力と、日本原子力発電、電源開発、日本原燃)が出資している(残りは政府出資)。

さらに、これら原子力事業者は毎年、会費(一般負担金)も同機構に支払っている(金額は毎年変更。11年度は計850億円)。その意味でも他の電力会社の株主たちにとっても他人事ではない。株主は明らかに利害関係者である。

そこで、その他の電力会社株を保有する議員にも取材し、「東電以外の電力株を保有する国会議員全リスト」も作成した(画像5参照)。

現在、首相官邸前で毎週、原発再稼働反対デモが行われている。そこで番外編として、「"電力株保有"全議員の原発再稼働に対する見解一覧」も作成した(末尾よりダウンロード可)。

ランキング表の作 成方法は、国会議員会館内にある「資産等報告書」「資産等補充報告書」「所得等報告書」をチェックした上で、各議員事務所に直接、保有状況や見解などを聞いた(作成方法の詳細は記事後半に記載)。こうしてまとめたのが画像の各ランキング表である。順にみてみよう。

◇ワーストは今村雅弘、石破茂、井上信治
 まず、トップ画像にように「"東電株保有"国会議員ランキング」の上位5人のうち、なんと4人を自民党が占めた。第1位は今村雅弘(衆院、自民党)氏、6,000株を保有。東電株を100%減資せず国有化したことについては、「無回答」だった。今村氏は東電救済法案の採決には「賛成」していた。

第2位は、石破茂(衆院、自民)氏で、4,813株を保有。石破氏と いえば、たびたび「次の首相」として名前が挙がる人物だけに、その対応は興味深い。石破氏は「.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。

携帯が鳴って、サヨナラ、桜。

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突然、携帯に見知らぬ家電番号から連絡が入る。
誰かと思ったら、琵琶湖汽船からだった。

来週、関西方面に突如出かけることになった。
友人の幾子が、「大阪で文楽が見たい」と言い出したのだ。
かねてから、
「文楽は大阪で見なくちゃダメ!東京の最高裁判所の隣で、皇居の目の前にどんと座してる国立劇場なんかじゃ、文楽の良さなんかぶっとんじまう。地下鉄駅を上がったら、ごく普通の街の中で、どこぞの田舎芝居の座でもかかってるんかいな、というようなハタがパタパタはためいていて、そこで見る文楽はぐっと庶民的であったかくて、何とも言えずにいい味なんだ」
と主張していた私としては、これはどうしたって、付き合わないわけにはいかない。

大阪のハシシタが「文楽なんかぶっつぶせばいい!」とかバカ言ってるのも腹立ってたし、だいたいがスターが欲しけりゃ松竹という大バックをつけて、豪華襲名披露はし放題、大河ドラマや映画のいいとこ役も取り放題、ってな歌舞伎なんかとは訳が違う。
踊りだって家元制度にがっちり組み込まれてて食いっぱぐれのない御曹司たちであふれかえっている訳じゃなし、若手はもう養成所出身者に頼るしかない義太夫だって地味だし、太棹のお三味線だって弟子にお稽古つけて食える訳じゃない。
人形作り一つだって、一度滅びたら二度とは取り戻せないし、一体の人形を三人で動かすという特殊技能の、それはもう貴重な日本の文化遺産なんだよ、文楽は!

というお話しがありまして、急遽大阪に出かけることになりました。
大阪には会いたい友人もいる。
でも今回は、文楽のみ。

午前中に東京を発ち、2時に福島のホテルにチェックインしたら、4時からの文楽公演夜の部のために、日本橋へ。
翌朝は適時(所要時間はどのくらいだろう?)にチェックアウトしたら、そのまま再び11時からの日本橋の文楽劇場午前の部へ。

一日目の夜公演終了後、せめて効率よく迷子にならずに晩ご飯食べるために、ここだけは人形遣いの桐竹勘十郎さんに携帯メールで、お店を紹介してもらえるようお願いしておいた、「どんなところがいいのか、難しいです。探してみます」とお返事がきたきりだけど。

「こじんまりしていて、落ち着けて、ホテルまでの帰り道で迷子にならないところなら充分です」って、もしかしたらかなり贅沢でやっかいなお願いだろうか?

二日目の文楽昼公演が終わったら、そのまま京都に向かって大津へ。
実は私、まだ琵琶湖を見たことがないんです。

   行く春を近江の人と惜しみたる   芭蕉

ある日、芭蕉の弟子の1人が芭蕉にこう噛みついた。
「季語は動かない(他の季語と交換しても風景が変わらないようではいけない。絶対的必然性がなければならない)はずでなければならないのに、『近江の人』は、動くではないか。行く春を惜しむのは、播磨の人でも摂津の人でもいいではないか」

芭蕉曰く、
「琵琶湖の湖水一面に散った桜の花びらを見ながら、春の終わりを惜しむのである。よって『近江の人』は動かない」

このエピソードを読んだときから、私の中で「いつか奧近江の桜が見たい」との思いが、確かに芽生えた。
しかし、未だにろくすっぽ1人では外出でいない私である。
かつて、一寸の間もないスケジュールを練って、取材に飛び歩いていた私から見れば、今の私など廃人も同様なのだ。

それでも幾子なら付き合ってくれるだろうとメールしてみると、案の定、「まかせる。よしなに」との返事があった。

午後の2時か3時に日本橋を発って、大津に直行。翌日に長浜まで行ってその日のうちに帰京するというスケジュールは、果たして可能なのだろうか?
とかつての私であれば得意中の得意だったこのような検索能力が、今はもう失われて久しい。

一日のうちで、ごく簡単な用事を二つ三つこなそうとするだけで、ほとんどパニックを起こしそうになる(実際になることもある)。
その対症療法として、6時間連続の哲学受講なんかもあるんですけれどね、実は。
一つのことを長くやるのなら、とにかくなんとか出来そうだ、っていうだけのことなんです。

で、すでに計画だけで真っ当な思考力を失いかけ、頭がこんがらがってしまった私を見て「大丈夫、できるよ」と検索で出した交通網の時刻表と付き合わせて、移動にかかる
所要時間を夫がシミュレートしてくれた。
帰りの新幹線は、格安パック故のゴールデンタイムを外した、午後8時便である。

そこで、長浜なのである。
大津からはほぼ1時間であるので、充分にたどり着ける。
観光HPを見ていると、な、なんと「今年は桜の開花が大幅に遅れているので、お花見観光遊覧船の運航を、4月27日まで行います」とあるではないか!
早速電話にて、12時30分発お弁当付き2名を予約したのであった。

  ああ、芭蕉が眺めた「行く春」を、私も眺めることが出来るのだ!

と、そこに今朝の電話である。
「一斉に咲いたと思ったら、昨日辺りからもう散り始めていまして、もう少し日程を早められることは出来ませんか~?」というのんびりとしたいかにも人の良さげな申し出に、
「残念ながら往復と宿の手配も済んでいて、日程もすべて詰まっているので、動かせません。残念ですが、自然が相手のことですので...」
というと、
「でしたら竹生島の遊覧船をこちらでご招待したしますので、ぜひお出でください」

な、なんとご親切なお申し出!
早速竹生島を検索してみると、「わぉ!」
      食事どころが見あたらない...。

12時45分発の遊覧船で、長浜着15時15分。
せっかくの旅行で、一食たりともマズイものを食べることほど腹の立つことはない、というのが、幾子と私の共通価値観であり、かつて(別々の旅行で食べた)伊勢うどんを罵りたおして、一晩の酒の肴にしたことすらあった。

 お昼、どうするの? 遊覧船は片道30分、滞在時間80分で、お昼食べ損なったらどうなるの? お弁当買って、どこかで食べるの?でも、それでもコンビニ弁当じゃイヤなのよ...。

と、再びパニックる私。

予定がぎっしり、しかも二泊三日を着物で通そうか、断念するかの瀬戸際に立たされ、「やはり幾子が一緒のリハビリ旅行とはいえ、無謀な計画であった...」
と不安に苛まれながら、臍を咬むばかりなのであった...。



どなたか大津で晩ご飯食べる場所ご存じの方、教えてください。


明日、そして今日。

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明日は月に一度の句会の日なのだが、突然親友の中澤幾子から「火曜日の国立劇場の歌舞伎のチケットが入ったぞ!」との連絡がある。

やれやれとばかりに、乳がん患者会イデアフォーの講演録と会報の校正が終わり、夫と買い物に行って見つけた美味しそうな生牡蠣と、大根下ろしたっぷりのサバの塩焼きで、昼間からワインで一杯やっていたときだったので、反射的に「もちろん行く!」と返事をしてしまった後で、句会があったことを思いした。

で、せっせと欠席投句用の句を、荻窪から帰ってきてひねくりだす。


  米をとぐ釜に底冷漉かしこむ

  鍋囲む距離の言葉の少なくて

  暖房を分かつ人なく読書かな


  雪椿 あなたの命が咲いてゐる

  冬日射す アルゲリッチの四手の音(ね)


荻窪には私の掛かり付けの病院がある。
去年、これまでずっと主治医だった消化器内科の医師が退職した。
その後任の主治医と、どうも上手くいかないのである。

ものの言い方が、とにかく頭ごなし。説明をしない。

私には持病の合併症であるぶどう膜炎があるのだが、
「検査しましょう」
「それらしき症状がでてから治療しても遅くはないんじゃないですか?
「とんでもない、検査はしなければダメです!」
結果は異常なく、目薬もらってお終い。

彼女が悪いのではない。
が、「ぶどう膜炎はこういうものだから、症状が出る前に検査しておいた方がいい」くらいのお話しは、こちらとしては欲しいわけですよ。

大腸の内視鏡の検査のときにも立ち会いはなかったし、知り合いの医者から検査でまるで問題ないポリープ切っては片っ端から生検回している現状とか聞いているし、「このポリープ、何だか変」とか「ポリープじゃないけれど、ここら辺りイヤな感じ」」とか見もしないで、どうやって検査結果に信頼おけばいいのか、こちらは分からない。

とにかくこちらの状況や生活など一切無視して、「晩酌を止めて精神科にかかれ」とか、なんとか視力の低下を防ぎ、集中力を維持しようとしている私に、「人間3,4日食べなくても、どってことありませんから」とか言い放つし、顔を合わせるたびに彼女に対して自分が心を閉ざしていくのが分かる。

で、どうしようかと夫に相談したところ、とにかくその病院のカウンセラー的な存在である牧師部のチャプレン(女性で私と同じ年、16年前に最初に入院したときからのお付き合い)に相談してみよう、ということになった。

で、判明したことが、現在消化器内科の専門医は彼女1人しかいないこと。
内視鏡検査には、別の医師が必ずたちあっていこと。
(しかし私は何の説明も受けていなかったので、検査技師がやっていると思ってしまっていた。知らない顔だと、どちらが検査技師でどちらが医師だとか、分からないし)

「移りたい別の病院がありますか?」
と聞かれたのだが、とにかくこの病院との付き合いは長いし、これまでに三度入院しているし、ここ5年間のカルテもらって転院しても、その間には血便程度の問題しか起こっていないし...。

まるきり知らない病院の知らない医師に、これまで私に起こったことなんてとても説明しきれないし、それこそ再燃するときには、あれあれってくらい、するすると症状が悪くなっていって、あっという間に動けなくなることまでいっちゃうのも分かっているし。

この病院であれば、すくなくともこうして話ができるチャプレンはいるわけだから、動きたくはないし、自分の感情的なもので騒ぎや混乱を周囲にまき散らすことは、それこそ本意ではない。

「私が消化器内科医が1人だけだという堀内先生(今の主治医)の現状を理解する、ということで、改めてやって行こうと思います」
と答えると、チャプレンの永田先生から、
「消化器内科医ではなくて、他の内科医でもよければ、志治さんのカルテを見せて、引き受けてくれるかどうか打診してみましょうか?」
という提案があった。

「堀内先生がご気分を害されないでしょうか?」
と聞くと、
「それは大丈夫です」
という。
「それではお願いします」
と時間が来て次の来客も待っていたために、席を立った。

まあ、こうして話を聞いてもらえるだけで、何とかなるような気もしてきたから、チャプレンの永田先生に会いに行った甲斐は充分にあったのだろう。

何も言えずに、ただ耐えているだけではますます苦しくなってくるだけだからな。

医師不足の現状も理解できるが、その現状を理解できるだけ、私などまだ救われているのだろう。
医療現場の事情をまったく知らない患者だと、ただただ苦しいばかりだろうし、「専門家だから」「医師だから」と一方的に頼り依存しなければならない患者は、さらにつらいだろうし。

まあ、現状で当分やっていくしない、と納得はできたので、よしとしよう。

訳してみました。   般若心経  

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般若心経

 

 

 

あなたのすべての過去、そして現在、未来に捧げます。

あなたの求め続けたものは、今、あなたのその手に中にあります。

私の言葉。

あなたの命は永遠の虚空です。

だから宇宙の虚空の深淵にこそ、あなたの命は永遠に輝き続けるのです。

そう、それは遙かな宇宙へと吸い込まれていく道なのです。

 

私の言葉は、

真実のつぼみの奧に眠る、堅く閉ざした花びらを、咲かないままに散らし、散ってしまったからこその、未だ開かぬままのつぼみのようなものなのでしょうね。

 

いつか咲く日を信じて待っていることも、つぼみを見つめていなくともまた、心を重ねることはできるはずなのですから。

 

ですから、たとえあなたの足元の土に、まだ芽生えさえしていなくとも、いいえ、その種さえまだ植えられていなくとも、その土さえ耕されていなくとも、散ってしまった花をあなたは見ることができるはずです。

 

あなたはその香りに誘われ、花の色の美しさに心を奪われ、気高く天に向かって首をもたげ、この星の太古の記憶をともに分かち合うこともできるのです。

 

私の言葉は、

どんな時のあなたであっても、あなたに寄り添い続けると、あなたに約束しましたね。

だから生まれる前のあなたであっても、宿る前のあなたであっても、泥にまみれたあなたであっても、永遠に清らかなままのあなたであっても、あなたはあなたのまま、ただそれだけであって、それがすべてなのでしょう。

 

だから私の言葉は、

つかまえることができないままに、未だ芽生える前のつぼみであり、蒔かれることのない種であり、聞くことのできない声であり、そのままの真実の形なのです。

見えない、届かない、匂わない、囁かない、抱きしめることすらできない、歓喜も悲嘆もない、描くこともできないし、記憶することもできない、漂ってくることもなければ、思ってみることもできない、この世に存在するどのようなものにも、留めることはできないのだと。

 

地図を探してみるのはいいことかもしれません。

でも、それはけっして見つけることはできないでしょう。

見つけることなどできないと知っているからこそ、探し続けることができるのでしょうね。

そしてだからこそ、やがて追い求めるものはただ、蜃気楼のようなものでしかなかったことを、あなたは知る時を迎えるのでしょう。苦しみは苦しみのままに、喪失は喪失するままに、あるがままに受け入れて、ただその感触だけを感じている。

 

理解することは、何かを得られるという約束ではありません。

けれどもだからこそ、理解することによって自分を見失ったり、恐れたりする必要もないのです。

ただそのことを知る、ということだけに心を開き、身を任せていればいいだけのことでしかありません。何ものによっても奪われることのない、揺るぎないどこまでも真っ直ぐな安らぎが、ただそこに広がっているばかりなのです。

 

時の流れの一直線上に、そこにただある自分を確認することは、極小から無限大まで、同時に、そして無数に唯一の己を実感することなのです。

 

だから私は再び、そして何度でもあなたに言うでしょう。

あなたの心は、いったいどこにあるのでしょうか。蒔かれる前の種から、永遠の虚空へと広がっていくあなたの心。

無比であるその命。

どこまでも果てしのない旅。

その旅の行程こそが、あなたをその苦しみから救い出してくれる。

まったけき偽りのない、一粒の真実なのであると。

 

あなたの命は、触れることも見ることもできない、その琥珀の底の中にのみあると。

 

彼方へ。

彼方へ。

そしてさらにその彼方へ。

あなたは永遠の虚空にのみ存在し、輝き続ける。

それこそが、一つの、ただ唯一の真実であるのだから。

 

あなたのその輝きを、私は永遠に見つめ続けるのです。

こたの逝った朝。

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2011年10月4日午前8時48分。小太郎18歳。柴犬。
 
 
明け方に、確かにこたの鳴き声を聞いた。

少し間を空けて、数回。

「もう少し鳴くようなら、様子を見に下に下りよう」
と思う間もなく鳴き声が止んだので、私はそのまま再び眠りに落ちていった。

昨日からひどい腰痛で仕事を休んでいた夫が、「今日もちょっと無理だな」と言ったのは、朝起てから開口一番、「今日はどんな感じ?」と聞いた私の問いへの答えだった。
掛かり付けの整体院の治療は、通常施術後には入浴は控えることになっていたので、朝一番でお風呂を沸かし、夫は入浴後に整体院へ行くことにした。

リビングへ下りていって、まず一番にこたの様子を確認する。
「うん、大丈夫」。
下半身に敷いているペットシートを確認すると、ちっちゃなマカロンほどの固いウンチを二つしていた。おしっこもしていたので、明け方の鳴き声は、「これを教えてくれていたんだねぇ。えらいえらい」と頭から背中を撫でてやりながら、シートを交換した。

シリンダーを口の端から歯の隙間の奥の方まで入れてお水を飲ませると、はっきりと自分の意思で飲み込んでいる様子が伝わってきた。この分なら牛乳も飲めそうだ、と判断して牛乳を与えると、シリンダーに二杯分ほど飲んだ。
「この感じなら、今日も大丈夫だろう」
夫のためにコーヒー豆を挽いてドリップでコーヒーを入れ、私は野菜ジュースでトーストの朝食を済ませた。
朝食の途中で二度ほどこたが鳴いたが、取り立てて変わった様子も感じられなかったので、いつものように側にいってとんとんしてほしいのだろう、と「はいはい、待っててね」とこたには聞こえない声で答えていた。

夫が腰痛のために入浴しようと、そろそろとバスルームへ歩いていこうとしているところを、ふと視線を下に落としてこたを見た。
「ん? どしたかな?」
わずかに呼吸が、乱れていた。

側に行って背中を軽く叩いたり喉を撫でてやっても、呼吸はなかなか元には戻らなかった。
でもそれは、ほんのちょっとだけ何かが喉につかえたり、何か別の理由からわずかに息が詰まったりしたかのようだった。

ちょっと息を詰まらせては、また呼吸する。
そんなことが何度か続いて、私は瞬間に理解した。
息が詰まる時間が、みるみる微妙に長くなっていくことが、はっきりと感じられたからだった。

心配そうに横に立っていた夫は、まだ気がついていなかった。
腰痛のため、こたの顔近くまで腰をかがめることができなかったからだ。

私は、そのことを夫にどう伝えればいいのか分からなかった。
だってこたは、今にも喉につかえていた何かがふっと外れて、また規則的な呼吸を取り戻すかのようでもあったから。

でも、呼吸は戻らなかった。
私は、こたの首に腕をまわしてその体を抱きしめた。
だから何も言わなくても、夫にもその時が来たことが分かったのだった。

「こた、こた、こーちゃん!」
私たちは何度もこたの名を呼び、その声に包まれるようにこたの呼吸は静かに止まり、二度と戻ってはこなかった。


前日、私は昨年やはり愛犬を看取った友人に連絡し、「その時が来たらどうすればいいのか」を尋ねていた。
しかしそれは、「夫が仕事で不在中に、私独りでこたを看取ることになった時」のそのためだった。
彼女のアドバイスで掛かり付けの獣医さんに相談すると、
「中野の哲学堂蓮華寺か、調布の深大寺の動物霊園なら間違いがないでしょう」
と教えられた。

哲学堂ならいろいろな意味で、私たちに馴染みが深い場所だ。
私はホームページで連絡先を調べて、亡骸を自宅引き取りに来てもらった場合(これは私がペーパードライバーのため)、平日から次の休日まで預かってもらった場合、個別の荼毘で立ち会いを望み、遺骨は自宅に持ち帰る希望などを伝え、料金を確認した。
そしてその費用を封筒に入れて、私の仕事デスクの前にクリップで留めておいた。

だがそれは、今朝のためではなかった。
いつか来るかもしれない、私独りでこたの命の終わりに立ち会わなければならないかもしれない、もっと先の日のためだったのだ。
断じて今朝のためではなかったのに。

「僕の腰痛は、美世子のそばにいてやってくれって、そのためだったんだよね」

まるで謀られたかのように、何もかもが整えられた日の朝、こたは静かに、本当に静かに逝ってしまった。

哲学堂蓮華寺に連絡すると、これもまるでそこだけ席が用意されていたかのように、午前中の最後の個別葬の枠が空いていた。
夫がかろうじて腰痛をおして車を出すことができたので、私はおくるみのようにタオルケットにくるんだこたを、最後まで抱いていていてやることができた。
控え室から焼き場に運ぶときにもバスケットを断り、抱いていった。


まだ温かいこたの骨に鼻の先を付けて、軽くキスした。

「志治家小太郎」
そう書かれた小さな白い壺に、こたは納められた。

こたが庭の白木蓮の下で眠りについたあとは、お骨壺と箱は蓮華寺で引き取ってくれることになった。

さあ、こた。
お家に帰ろう。

こたの大好きなお家で、こたの大好きなつむぎと、そしてお父さんとお母さんと三人で、いつまでも一緒に暮らすのだよ。

こたでなければ、あり得なかった人生があった。
本当に強く、賢いこただった。

「お母さんがご飯が食べられるようになるまで、待っていたんだよ」
そうとしか考えられないほど、驚異的にがんばって生き抜き、そして最後まで意識も意思も明朗だった。

明日の朝、こたのいないことって、想像がつかないよ。
そうだね、想像がつかないね。


こたのためにタオルなどを送って下さった多くのマイミクさんに感謝し、こたからのお礼の言葉に代えさせていただきます。

ありがとうございました。

小太郎は、幸せでした

さて、日本はどうする?

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米国6州目の同性結婚合法化にセレブたちが喜びのツイート!
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1651352&media_id=100

同性愛は日本の文化でもあるし、源氏物語の昔から、大臣(おとど)の若君が匂宮にバスバスにやられちゃってるのなんか、現代文に訳すとすっきり消え去っちゃうのだけれど、原文では濃厚な貴族間での男色趣味がにじみ出てくる。

武田信玄と高坂弾正、信長と森蘭丸は言うに及ばず、江戸時代には町娘や奥様連中による陰間(女装の少年売春)買いなんかも公然とあったし。

日本は一見、オネエ言葉タレントが大手を振って芸能界を闊歩しているところから、「同性愛に寛容な社会」だと勘違いされているけれど、それは大間違い。

男子直系主義で、夫婦別性すら未だに「家族が崩壊する」なんて訳の分からない理由を大上段に振りかざす、超保守主義が現実である。

要するに、「芸能界」とか、しょせんは「河原乞食」の中でのことだったら見て見ぬふりしてやろうほどに、一歩でもまっとうな社会人世界に足を踏み入れたいならば、そんなものはまかりならん!ということ。
だって日本は「戸籍」という、世界でも摩訶不思議な、奇妙なものによって個人と家族を単位とし、成り立っている社会だから。

つまり例えば、マイケル・ジャクソンが「ママと子供達に全財産を残して、パパにはびた一文あげない! 子どもたちが30歳になるまで、遺産は後見人としてママが管理して」という遺言を残しても、日本ではこれは通らない。

戸籍によって、相続分配が厳重に取り決められているから。

ちなみに、虐待を受けた子どもの保護が困難なのも、この「戸籍」による親の権利が強大であるためだ。

で、どうしてNYの同姓婚が日本に関係あるかというと、これまで絶対に日本では認められようもなかった同性婚が、NYで結婚すれば成立してしまうし、同性愛者のセレブって桁違いのエグゼクティブがてんこ盛りにいるから、NYで結婚した同性カップルが日本に不動産やら美術品やら経営権やら持っていて、それが離婚の時の財産分与ならまだ弁護士の入る余地もあるだろうけれど、今のままだと遺産相続になった場合、同性婚のパートナーとは養子縁組でもしていない場合、パートナーには財産が渡らずに、親兄弟のところに持っていかれてしまうことになる。

第一、海外では婚姻していて、日本では養子縁組、なんて通るわけがないだろいうし。

これは遺留分があるから、遺言だけではどうにもならない。
同性婚はすでに一部の国や米国の州でもみとめられているから、今さらどうのってことでもないんだけれど、NYで認められたって事は、社会における認知度が飛躍的に違ってきたことを意味している。

国際婚における子どもの親権問題からも逃げまくってきたこれまでの日本だけれど、「あんたら、あくまでマイノリティの本分を忘れるんじゃないわよ!」という日本の男子直系、戸籍第一主義に、いよいよ火がついてきたってこと。

さて、何につけても先例大事で、議論を避けてきた官僚社会日本よ。
少々の土地や家屋敷を残して死のうものなら、何年にも渡る兄弟姉妹の争いの火種となりかねなかった戸籍=相続制度を、いったいどうするのかしらね。

東北大震災、福島第一原発問題と同様、常に現実は官僚たちの頭の上を飛び越えてやってくるのでありました。

キャンナスの菅原です。

 

皆様からのご支援心より感謝いたします。支援金をお送りくださいました皆様に

は心より御礼申し上げます。

 

前回ダイソンが欲しい!!ガソリン代が・・ということで、ご支援をお願いいた

しましたが、

今回は、現地から車が欲しい!!パソコンが欲しい!!(移動と情報収集には欠

かせません。2台は何とか買ったのですが・・)

 

そして、長期のナースからは、このまま活動の継続をしたいけど、ボランティア

では生活ができない。家賃を滞納できないから帰って仕事しないと・・

という声が上がっています。

 

キャンナスでは、悲しいかな、そんな声を支えて行く財力がありません。

 

前回皆様のご好意で、ダイソンは170台もいただけましたし、毎週2回、毎回

2~3台の車を出すことができ、現地の要望する物資を購入し、すぐに手渡すこ

とができました。本日もこれから30人のものが現地に向かいます。

 

現在の活動拠点は、気仙沼の総合体育館。福祉センター。石巻の中央公民館。図

書館。湊中学。そして、明日から、ノロが発生し泊まりのナースが欲しいとのこ

とで、南三陸町の中学校に入ります。

 

(東松島は避難所閉鎖で撤退。石巻中学は、医師会が診療所をつくることになり

撤退、キャンナス撤退した当夜、救急搬送3回あり、ナースが常駐することの重

要性がはっきりしました)

 

キャンナスのナースたちは、受け持った場所では確実に泊まり込みで看護の提供

をしています。

 

どうか、頑張っているナースたちをご支援いただきたく、よろしくお願い申し上

げます。

 

今回は、上記なような要望に応えたいとの思いから、再度皆様に支援金のお願い

をする次第です。

 

決して無駄にはいたしません。

 

どうかどうかお力添え下さいますようお願いいたします。

 

活動報告は、キャンアスのMLで、またはグログでご確認いただきたくお願いいた

します。

 

 

--

◆全国訪問ボランティアナースの会キャンナス代表

http://www.nurse.jp

◆開業看護師を育てる会 理事長

◆有限会社ナースケアー 取締役 ケアマネジャー

 

菅原 由美

誰が産めなくさせているのか?

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■消費税、少子化対策にも...政府が投入検討
(読売新聞 - 02月05日 10:33)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1493333&media_id=20

社会が生きづらいから、自分だけで精一杯だから、幸せな子育てが望めないから、産めないんじゃないか。

自殺者3万人だって、摂食障害や薬物依存だって、ワーキングプアだって、みんな根っこは同じでしょう?

いくら補助金もらったって、子どもなんか産めるわけない。
大人が幸せじゃないのに、子どもを幸せになんかしてやれない。

人間をもの扱いする、心と心をごく自然に、尋常につなげる素直な生活が、どうして、いつの間にか私たちには許されなくなってしまったのか?

自分に忠実に、嘘をつかずに生きていこうとする人間ほど、苦しまなくてはならない社会になってしまったのか。

傷つけ、踏みにじることに無自覚な人間が大手を振り、声だかに正義を主張し、人をなじる。

それができない人間は、「弱い」「自己責任」と切って捨てられる。

愛情豊かで優しい人間ほど傷付いていくこの社会の仕組みに、親になるべき人間が生きていかれない。

モンスターをはびこらせているのは、社会そのものじゃないか。
モンスターはむしろ、社会に適応した、人間の進化のスタイルだと私には思えてならない。

生きていて、幸せ。それが実感できるなら、誰だって子どもを産みたい。

自殺願望が地下深く、根っこのようにはびこっているこの世の中で、誰が子どもを産みたい、と思えるのだろうか。

勉強して、大学出て、企業に勤められればまだマシ。そこから一歩でも外れれば、格差社会の谷間に真っ逆さま。

私の娘の友だちでも、先の見えないアルバイトの掛け持ちで、なんとか生活している子もいる。
派遣で寮に缶詰にされている子もいる。

優しい子ほど、損をする。
足並みをそろえられない正直さが、仇になる。

それが補助金で、どうにかなるとでも、いったい誰が考えているのだろうか?

「パパ。かいい!」

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http://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%91%E3%80%81%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%84-%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92/dp/4904855000/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1296812085&sr=1-1

漫画家であるパパが、待ち望んだわが子は重症のアトピー性皮膚炎だった。
新米パパとママの奮戦記だが、自由業のパパと働きながらも学びたいママの、パートナーシップストーリーでもあり、また子育ての困難さ、喜怒哀楽、絶望と希望のユーモラスな物語でもある。


発行人の金承福(キム スンボク)さんは、古くからの友人。
韓国の大学を出て、日本に来て、知り合った頃は日本語学校の学生だった。

私が仕事でどうしても夜、家を空けなければならないときには、彼女と彼女のルームメイトのチュヒちゃんで、小学校に上がる前から小学生時代の娘のベビーシッターをしてくれていた。

その後、彼女は学習院大学に合格、無謀にも「日本史」を専攻し、そして当然すぎるほど当然だが、「玉砕」した。

外国人が突然、なんのベースもなく「日本史」って、それは無理でしょう!

その後、彼女は慶應の文学部と、日大芸術学部に合格した。
私たち夫婦は慶應に行くように説得したが、彼女は「芸術学部のある大学はアジアでも少ない。留学生達の間のステータスが高い」との理由で日芸を選んだ。

彼女は在学中に留学生達を組織して、アジア10カ国語に対応可能な「翻訳集団シカゴ」を立ち上げた。
「しっかり、かっちり、ごっそり」稼ぐ、という意味だったという。

卒業後は(株)オントフ(on to offの意味)を設立、今では翻訳、制作のみならず、出版部門(株)クオンの代表でもある。

日本と韓国を主軸に、アジアのあらゆる国とのネットワークを誇る。

しかも、しかもさらにグループ会社からは
「日本でもっとも有名で、もっとも知られていない詩人のすべて『僕はこうやって詩を書いてきた』谷川俊太郎、詩と人生を語る」なんて、とんでもない大それた本まで出してくれた。

『パパ、かいい!』『僕はこうやって詩を書いてきた』、悩めるワーキングウーマン達に向けた『幸せな通勤』の三冊は、娘がいただいたものですが、ご紹介させていただきます。

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