どこまでも散歩道〜志治美世子ウェブサイト



「もん」の会
歌仙「虚実の種」の巻

[川野 蓼 艸]

三夏/ 明け易し小面の笑うすうすと 川野蓼艸
  初夏/ 牡丹の色もやがて溶明 志治美世子
  彩墨を磨りて鮮やか白皿に 古川柴子
  フォント見本に目を凝らしゐて 尾山祥子
  三秋他 月光にじゃれてピエロは跳躍す 美世子
  仲秋他 天井桟敷に石榴頬張る 祥子
晩秋半 な泣きそなべてこの世は冷まじき 蓼艸
  振り向きしより清か鈴の音 柴子
  嫁ぎゆく姉を見送る心地して 美世子
  枕の隅に縫針を入れ 美世子
  ちくたくの階下の時計止まりゐる 祥子
  人縊れしと夕刊に載る 蓼艸
  三冬自 メロディーをピアニッシモに月氷る 柴子
  晩冬他 母の笄雪に突き刺す 祥子
  がら空きの駐輪場に傘一つ 柴子
  十年前の時刻表読む 美世子
  晩春自 花びらよ淋しい文字を隠せかし 祥子
  三春他 虚実の種を植うる朝東風 柴子
ナオ 三春/ 黒潮は春陽を乗せて磨崖仏 美世子
  廃船に棲む色々な神 柴子
  ベトナムの麺にパクチー山盛りに 祥子
  河童のふぐり煎じ媚薬に 美世子
  流し目と麝香ショパンの夜想曲 美世子
  違ふテンポの同じオフィッス 柴子
  交差点二十四時にはモノクロに 柴子
  無為にて終る西口の愛 祥子
  フレーミングして土星の輪を透かし見る 美世子
  三秋自 ガラスのビルに爽涼を巻く 柴子
  三秋自 限りなく通葉の蔓の先伸びよ 祥子
  三秋/ 揺りかご守るかちちろ鳴く声 美世子
ナウ 晩秋/ 紅葉と月の緞帳のぼりゆく 柴子
  酒を嘗めつつ爺の繰言 祥子
  ぬかるみに下駄をとられた昔の露地 美世子
  三春半 どうやら隣り蛤を蒸す 祥子
  晩春半 方違へ見知らぬ人らの花の夜 蓼艸
  三春自 手袋仕舞ふ陽炎の中 美世子

平成十九年五月二十九日(火)
於 中野駅「もん」

「もん」の会発足宣言

川野蓼艸

先号と同じメンバーだ。先号では名前がまだなく、私が捌いているので前田編集長は草門会の作品とされたのだが、そうではなかった。

中野の「もん」というスナックに毎回集るので「もん」の会とする事にした。女性ばかりで男は私一人、アラブの王様になった様な気がする。

脇の溶明、フェイドインと言い、映画用語で暗から次第に明るくなる時に使用される。小面の笑が次第に見えてくる様に牡丹の花もそうだという訳である。

姉に対する思慕の情、これは年上の女性に対する若い男の気持であろう。それに対して、枕の隅に縫針を入れるのは誰かと言う人もいようが、恋句はセンスである。

誰がどうして何とやら、というのは野暮であり、男女間の嫉妬の感情を読み取って戴ければ、それでいいと私は考える。

笄はコウガイと読む。髪を梳く棒状の金属と聞く。

河童のふぐりを煎じた媚薬をうっかり飲まされた女性は俄かに効用が現れ、ショパンのBGMを背景に香水の香りを漂わせ、流し目を送る。同じオフィッスに勤める男は少し波長が違うのか、ぴんとは来ない。深夜の交差点はモノクロとなり、結局、駅西口の愛は成立しない。

何だ、お前は。恋句はセンスで、何がどうして何とやらではないと言っておきながら、これは、何がどうして何とやらではないか、と言われそうだが、そこはそれ、連句は相手を思いやる文芸ではないか。

傘一つ、十年前の、数字が続く。仏の次に神、私は擦り付けは全てOKの立場をとる。通草(あけび)と紅葉は植物の打越と言われるであろう。しかし紅葉は緞帳に刺繍されたもの。噂の月ではないが、これは噂の紅葉であるから、これもOK。母親のDNAで私は我田引水である。


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